小倉さんは考えた

やわらかければうまい。そう習ったよ。

【大評論家】梅木雄平の「失敗した起業家は1番のゴミ」発言について

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 今から書くことは梅木氏への個人批判ではない。

彼が編集長の立場で書いた問題作「評論家はゴミなのか」の評論である。

彼の記事に問題があるのは今に始まったことではない。本記事を書いた理由は彼がひどく歪んだ形で起業家を侮辱したからである。

この記事を書くメリットはない。ブログ経由でコンサルの相談が増えてきたのに、それが減るリスクしかない。

ちなみに「梅木雄平」とはこのような方である。↓

 

評論家はゴミなのか?

彼が書いた記事について書いていく。

「評論家はゴミなのか?」彼の書いた記事のタイトルである。

当然だが、「評論家」という肩書きは無価値だ。ある意味ゴミに近い。

辞書を引けば分かるが”評論”そのものは飲み屋でのおっさん同士の愚痴、主婦達の悪口で生じる程度のactionである。その多くは言論的な排泄物だ。

そして政治家や医者、弁護士と違って、名乗れば誰でもなれるのが評論家である。 

ここまでが前置きだ。

 記事の要約

彼が書いた記事はこちら↓だ。

評論家は本当にゴミなのか?

彼が何を書いたのか3行で紹介しよう。

1.Twitter上で「あいつはただの評論家だ。あんな奴の言うことは聞かなくていい」と言われた
2.一番ゴミなのは失敗した起業家、実業家である。
3.起業家、実業家は神で評論家はゴミなのか?

要約するとこうなる。

一見するとまともなことを言ってるように見えるだろう。だが冷静に読むと構成が相当にひどいことが分かる。恐ろしくいびつなのだ。

解説しよう。

なぜ彼は記事を書いたのか?

彼の動機を説明したい。※仮説である。

>1.Twitter上で「あいつはただの評論家だ。あんな奴の言うことは聞かなくていい」と言われた

これは事実だろう。

だが何故それを記事にしなければいけなかったのか?

わざわざ記事にせずともTwitter上で相手を論破すれば良い話だ。その方が遙かに労力は少ない。だが彼はそうしなかった。

理由は下記の事例から見えてくる。

梅木ヨッピー事件だ。

概要はこうだ。

・梅木Twitterでヨッピーをブロック。
・その上でヨッピーへの批判ツイート。
・街でばったり会って梅木謝罪。
・帰ったらまた陰口ツイート。

大変興味深い。

二つ目の事例だ。僕自身で試した事実である。

「ヨッピーの事例」今回の「彼の記事」から”ある仮説”を持ってFacebookで彼の投稿に若干批判気味のコメントを丁寧にしてみた。

彼が書いた記事の最後に

>様々な意見を聞けると良いなと思っています。

と書いてあったからだ。

その結果どうなったか?

コメントを"消された"上に「削除しちゃいますw」とツイートされてしまった。

「コメントがTwitterで晒される」と予想していたがそれ以上の結果になってしまった。消すのか…。

編集長の立場で記事を書いてそれをFBに公開投稿。不快なレスポンスは消す。なるほど。

そして今回Twitter上で相手を論破せず、わざわざ「評論家はゴミなのか?」の記事を書くという事実。

この3つの事例から

彼は「絶対に負けるリスクをおかさず」「敵のいない場所で”勝利宣言”する」という性質を持っていることが推測できる。

※他にも似たような事例はいくつかあるのだが、今回は省略する。

つまり彼がわざわざブログ上で「評論家はゴミなのか?」と書いた理由は、その記事自体が罵った相手への”勝利宣言”なのである。

これはストレッサー(ストレス要因)を認知した後の「彼なり」のストレスコーピング(ストレス対応)なのだろう。つまり彼は上記のようなストレスを受けるとこのようなストレス回避行動を取るのだ、と僕は考えている。

「それは言い過ぎだろw」と思うだろう。

だが、下記を読めば「うわぁ…」と言う感想を抱くハズだ。

無意識に論点をすり替える癖

彼が「ストレス回避行動として記事を書いた」と言える理由を説明しよう。

 >1.Twitter上で「あいつはただの評論家だ。あんな奴の言うことは聞かなくていい」と言われた

この件だ。again。

こう言われたことをきっかけに「評論家の評価が低い」と彼は書いてる訳だが、そもそも誰も評論家を貶してなどいない。

「梅木はタダの評論家」とは「梅木のようなタダの評論家」という意味で書いたように普通は読めるだろう。もし評論したのが大前研一や堀江貴文なら絶対に「タダの評論家」とは言わないハズだ。つまり価値ある評論家とは価値ある人間なのである。

そして彼は「あんな奴の言うことは」と自分で書いている。

したがって貶されたのは評論家ではなく梅木自身である。

そのストレスに耐えきれず彼は「自分」ではなく「評論家」が貶された、と無意識にすり替えたのである。

例えるなら、女性Aに「”A”は性根が悪いよね」と伝えたら「は?女性蔑視?それは差別です!」みたいな話だ。話のすり替え。非常にめんどくさい。

誰も貶していない「評論家」の話において彼の記事は根本的に成立しようがないのだ。だから誰も言ってない話や大きな誇張表現を次々と出すハメになる。

無理矢理記事を成立させるために、だ。

彼の記事からすり替えの事例を2つ出そう。

>自分で事業やってないくせに偉そうなこと言うな!が大抵の批判フォーマットですが、それはコンサルティング業務を完全否定しているとも言え、 

>評論家はゴミで事業家や起業家が神という二元論はおかしなはなしで

唐突に出てきた性質の異なるコンサルティング業務と謎の二元論。こじつけであり誰もそんな話をしていない。言ってない事実を結果的に「それは違うよね」という結論にしている。もちろん記事を成立させるためにだ。

すり替え、誇張の最たるものが次だ。

 失敗した起業家、実業家は"ゴミ"発言

本題である。

誇張表現を使って記事を成立させる為だろう。彼は「ハッキリ言って失敗した起業家、実業家は1番のゴミだ」と書いている。頭がおかしい。

「ハッキリ言って」と書く以上、覚悟はあるのだろう。

都合良く一部分だけを切り取った訳ではない。彼はこう書いた後に、1番のゴミである理由をちゃんと説明している。だから彼は本当に1番のゴミだと書きたかったのだ。

注:彼はスパルタWEB編集塾を企画するほど記事に自信を持ってる人間である。十分に書き切っているハズだ。

この場合の「1番」とは何だろうか?

記事の内容が「評論家」と「起業家」の比較なので誰がどう読んでも相対的に「失敗した起業家」が「1番のゴミ」ということになる。それ以外に理解のしようがない。

つまり不等号的に確定しているのは

失敗した評論家>失敗した起業家(1番のゴミ)

ということになる。

ズームしよう。

失敗した評論家>失敗した起業家(1番のゴミ)

敵のいない場所で勝利宣言をする為に記事を書き(←仮説)、勝つ為に論点のすり替えを行う。

そしてすり替えと誇張を行った記事の中で失敗した起業家をゴミ扱いする。

なるほど。戦争である。

3つの観点から感想を述べたい。

1.TheStartupの編集長だよね?

スタートアップの多くは失敗する。大半が、だ。

その大半がゴミ扱いということになる。だから彼は自分のメディア「TheStartup」の読者を舐めてるのだろう。

だがこれは彼の編集長としての「スタンス」なので強くは言えない。彼の自由だ。

 2.”評論家”を語る中での結果論

記事のテーマは「評論家」である。その中で「失敗した起業家は1番のゴミである」と彼は言っている。恐らく彼は失敗の意味を理解してない。

ビジネスにおいて、合理的であることと正しくあることは違う。

いくら合理的に教科書的な攻め方をしても(リソース的な意味で)合理性を無視した狂気のような競合相手に負かされることが多々ある。YouTubeしかりAmazonしかり。

最高の狂気を持って最良の選択をしたとしても1強、もしくは2強しか”枠”のない業界で勝てる数は決まっている。枠が埋まった時点で終了である。

そのような競争原理の中で”失敗”とは多くの試行回数の中で生まれる現象の一つにすぎない。

その現象をゴミだと言うのはハッキリ言っておろかだ。知性を疑う。

3. 想像力の欠如

僕がこの記事を書いた理由だ。

銀行を回って死ぬほど借金を背負って給料を払った起業家、失敗して妻も子供も失った起業家、 今月の資金繰りに躓いた起業家。そんな知り合いが何人かいる。

梅木氏曰く、人生を賭けて戦った結果起業に失敗したら、まともに論理的な思考もできないゴミくず系評論家以下の存在になってしまうのである。

起業家の友人が50人ほどいる。確率的には数年で45人が彼の言うゴミになる。これは許容できない。

だから僕はこの記事で彼の論理構成の狂った記事の「ゴミ発言」を明確に否定する。

本当のゴミは梅木である。

梅木雄平について

今回この記事を書くにあたってあるFacebookのグループで「梅木氏の関係者には迷惑をかけるかもしれません。すいません。」と断りをいれた。

その結果すさまじい反響になったのだ。

聞いてもいないのに、山本一郎氏への匿名でのアブラなんとか疑惑、経歴なんとか疑惑、コンサル内容の漏洩…、更には脅されたと主張する人からのコメントから、いつの間にか経歴から消えた某社在職時の話から、C社在籍時の仕事ぶり、そしてサロン成立の秘密まで・・・。どれが本当で、どれが事実でないのかは分からないが、出て来る出て来る。

本記事は”評論”なのでその詳細は書かない。だが書こうと思ったらあと5記事は書けるだろう。

僕は梅木氏に反省も謝罪も求めてはいない。

彼の本質が変わるとは到底思えないからだ。便利になったWEBとSNSは、奇怪な”何か”を生み出してしまったな…と。

その”何か”を説明したかったのだ。 

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